「成山亜衣の作品から。」                                                                                                                                                                                                      

中井康之


成山亜衣の代表的な絵画作品を概括的に描写するならば、「具体的な対象物を描いたイメージをつくり出している絵具素材が、同時に絵具素材としての特質である色彩や筆触による表現自体を主張するというダブルバインド的な状況を生み出している」と言い表すことができるだろう。

成山の表現は偶発的に生じたかのように見せることを意図した作家の意図による部分が大半であるかもしれないが、ダブルバインドによって必然的に生じるストレスが果たす割合は成山の予測を超えるものかもしれない。もちろん、そのコントロール不能な部分まで含めて自身の表現であると成山は主張することも可能ではある。

そのような構造を持った絵画の誕生に至ったのは、歴史的に見るならばヴァシリー・カンディンスキーが横向きに置かれた自作の風景画に「えもいわれぬほど美しく、内面的な白熱にみちみちた」効果を見出した1906年頃に遡るだろう*。カンディンスキーのこの逸話は、20世紀美術が抽象化を遂げる起源としてよく用いられるが、その後の抽象芸術の流れは単純ではない。

例えばイタリアの作家ジョルジョ・モランディは、卓上の静物を描いた画面が完全抽象を遂げる間際で、一個の事物を描いていることを僅かに主張することによって、具象と抽象の絶妙な関係性そのものを表現することに晩年を捧げた。また、より知られた事例としては、パブロ・ピカソがキュビスムによる画面分割が限界に達しようとした時期に、新聞や雑誌の文字部分の紙片や写真等を貼り付けた「パピエ・コレ」という技法によって、日常的な空間を介在させて完全抽象への道を閉ざした。以上の様に20世紀美術が一元的に抽象化に向かった訳では無く、現在でも一定の評価を得ている作家たちが、具象と抽象の関係性を巧みに利用してきたのである。

ところで、先のカンディンスキーの逸話は、我々の視覚認識が重力の法則に捕らわれ続けていることを端的に示している。例えば、成山の《コーヒーフレッシュ》(2019)という作品で説いてみよう。成山作品のカンヴァスに描かれた事物たちは、まるで空中浮遊しているかのように見える。その原因は、おそらく大きなテーブルを囲むように整然と置かれた椅子の光景が、左上から俯瞰した視点からの画像であることによって生じた錯覚のようなものだろう。同図像は右上に消失点が生じる構図を隠し持つが、作品の四角い画面の中では、その横に並んだ椅子の下端で画面が切断される処理が為され、その切断面が作品の下端となっている。要するに、その椅子とテーブルを中心に考えるならば、この作品の空間的な位置関係は、左斜め下の方向に鉛直線を描く空間が画面内に位置づけられている。

さらに、その立体を構成する視覚的空間の左側に、その空間を覆うように平板に歪んだ犬の頭部と前脚部分が描かれ、さらに、それらの画像が合成された上から、白い液状の流動体(コーヒーフレッシュ? )が画面に飛び散っているように構成されている。このように成山の作品を描写すると、まるでシュルレアルな光景を思い起こさせることになりかねないが、一個一個の画像や描かれた状況などに感情移入することがなければ、特別に何か見る者の目を留めるような要素を持った作品ということではないだろう。今日、カンヴァス内に描かれた物の置かれた位置関係や、描写された内容の検討、それらの図像の過去作品との照合といった古典的な解読は全て過去のものとなり、あらゆる画像は消費し尽くされてしまうのである。

このような動きのある表現を20世紀以降の歴史的作品から参照するならば、未来派の作家ウンベルト・ボッチョーニ初期の代表的作品《立ち上がる都市》(1910)等を取り上げることが許されるだろう。未来派の作家たちは、「未来派宣言」によって20世紀機械文明の象徴とも言える自動車が疾走する姿を《サモトラケのニケ》より美しいと唱えたことで知られている。

彼らは近代化を遂げる都市に渦巻く運動や、人工の光、そして様々な機械の動作を保証するエネルギーを主題としながら新たな様式を模索していた。19世紀後半、漸く国家統一を果たしたイタリアは20世紀初めまでには工業化を遂げ、そのような動勢が文化領域にまで及んでいたのである。

このような過去の事例に対して、成山の絵画から感じ取ることのできるスピード感は何に由来するのであろうか。それは言うまでもなく1995年以降、地球規模で飛躍的に展開したIT革命によるものであることは間違いない。科学技術的説明は省略するが、結果として、同革命の影響下、あらゆる人種や社会階層の分け隔てなく、多くの人々に等しく天文学的数値の情報が行き交うようになり、人々の求めに応じた画像が容易に手に入るようになったことが、成山作品に大きな影響を与えた主要因であると推定できるだろう。

もちろん、このような視覚的環境の変化を知らぬ者はいないであろうが、同現象を題材として表現しようとする者、特に伝統的な造形表現によって表そうとする者は、想像以上に少ない。私自身、未来派の作品との比較対照を設定するまで、成山の絵画を組成するその一端を見過ごしていた。

一言弁明するならば、成山の表現はそのような流行の現象をモチーフとしているとは外面的には見えない。しかしながら、優れた感性を備えた作家の表現は、社会的状況を反映する一面を備えているのであろう。私は成山のそのようなセンサーをとても興味深く受けとめるのである。

   

*西田秀穂「訳者解説」『カンディンスキー抽象芸術論』

 美術出版社 1956年、p.23(解説内頁)。




(なかいやすゆき・国立国際美術館)